2018-03-20

しげるロード

R.I.P.

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http://clip.mitaimon.com/post/172040719276/あるとき水木さんになんであんなに背景をみっちり描くんですかとお尋ねしたんですどんな音がする


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2018-01-29

日本語ジャーゴンファイル@

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kickとかkillとか、元は英語の直訳だったものも多いんだろうけど、プログラム関係の日本語の動詞表現が面白いという話題になったので羅列してみた。

カウンタを回す
パスを通す
フォルダ(ディレクトリ)を切る
ディレクトリを掘る
インデックスを張る
リストを舐める
引数を渡す
関数を呼ぶ
戻り値を返す
例外を投げる
ログを吐く
ポートを叩く
バッチを蹴る
パッチを当てる
プロセスを殺す
バグをつぶす
名前空間を汚す
データを上げる
データを落とす

なんとなくイメ―ジが沸きやすい気がしないこともない。
だがしかし、重いデータは落とすのに時間がかかるのに、軽いデータはすぐ落ちたり。圧縮を元に戻すのは「解凍」だけど、PCが「フリーズ」するのはエラーの一種だったりとか。
考え出すとややこしくなるので、今日はこれぎり。
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2018-01-20

広辞苑改訂ミス

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相次いで明らかになった広辞苑の改訂ミスが話題になり、曲がりなりにも最近、教育関係で働いてる身として考えさせられた。
というのも、これが「活字離れが良くない」とか「ネットの情報はまだま不正確」といった意見への反論に拍車をかけるものじゃないかと思うからだ。
辞書の編纂や書籍の校閲に関する映画、ドラマが話題となり、改訂版発売前から大々的に宣伝していた結果なのも痛々しいし、この期に及んで公式サイトや公式Twitterで正誤表を提示できていないのも厳しい。

で、今回の件は、ネットと書籍の使い分けという点でも示唆的だと思う。
LGBTのような関心度の高い分野のWikipediaに明らかに間違った説明がつけばすぐに訂正が入るだろうし、地名や施設名のような担当官庁がある分野ならそのサイトを確認するのが一番正確である可能性が高い。
元々、言葉の最大公約数的な使われ方を個人が調べることが難しかったからこそ辞書の価値があったわけだけど、即座に最新の情報が何万件といった単位で検索できる現在では以前同様の価値があるかは疑わしい。

仮に、広辞苑が追記部分を限定公開して、いわゆる「ベータテスト」を行っていれば少数派の人達を傷つけるような単純なミスは防げただろうけど、「台湾に関する記述」などにみる頑固さからすると広辞苑にそんな柔軟性があるとも思えない。

P.S.
元より、「辞書に書いてあるから」と主張する杓子定規な人間が苦手なのだけど、辞書に書いてあることが正しいとは限らないってことだけでなく、辞書の語釈は全てのケースに当てはまるものではないってことも、もっと一般的な認識として広まって欲しいものだと思う。
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2018-01-13

信越線立往生

大雪で信越線が立ち往生した件について、マスコミうや政府見解ではJRの対応を非難する声が多かったのだけど、Twitter上では当事者の声も含め、それらとは正反対の意見が多く寄せられていた。














一方、Facebookだと相変わらずJRを非難する地元新潟県民の意見も多くて、JR職員に感謝する乗客を「ストックホルム症候群」(誘拐事件の人質が犯人に同情的になる心理現象)だなどと侮辱する人間も。匿名SNSと実名SNSの違いが興味深いところだ。
「雪が振ることは分かってるんだからちゃんと対策しろ」と暴言を吐く人もいるけど、あらゆる災害に対処するため無制限に予算を費やすことはできないし、僕らは交通を確保するためだけに働いているわけではない。

十年来の大雪の時くらい、休める人は仕事を休み、移動しなきゃいけない人たちもまずは安全を最優先にする。そういう世の中であって欲しいと思う。
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2018-01-07

#StopBlackfaceJapan

この機会に溜まっている懸案事項を解決しようと思ったものの、結局、溜まっている疲れを回復する方に費やされたいつも通りの寝正月。

年末の特番もPCで作業しながらザッピングしていたのだけど、その後、「ガキ使」の黒人の扮装が身の回りで話題となり、今朝のラジオでも居丈高の専門家が語るのを聞いて色々考えさせられた。
結論としてやらない方が良かったというのは変わらないとして、それでも違和感を感じる何かがある。

BBCの記事やYoutubeのコメント欄では自分は黒人だという当事者のコメントがあり、それで数が測れるわけではないけれど、大半は日本の番組に寛容な意見だった。
「ブラックフェイス」はアメリカの歴史に基づくアメリカの問題で、他国に持ち込むものじゃない。

ただのアクセル・フォーリーのコスプレを、白人が黒人を嘲る目的で肌の色や唇を誇張した「ブラックフェイス」と同一扱いすることが気に食わない。

(*ANAの付け鼻の扮装が問題になったことはあるけれど)
金髪や肌を白くすることは許されて、アフロや黒くすることだけが咎められるのは許せない。

自分は黒人だが、この日本人よりも、これを利口ぶって批判する白人に腹が立つ。

これで騒いでるやつらこそ、人種に優劣をつけている差別主義者。

良い子ぶった白人が黒人の代わりに傷ついているだけだろう。

彼(浜田)を貶めるのは、アクセル・フォーリーを貶めようとする逆差別だ。

などなど。
負の歴史である特定呼称としての「ブラックフェイス」と、ただの扮装を同一視することへの嫌悪感といったものもある。
障碍者差別や民族差別においても、過剰な配慮や差別だという決めつけが、かえって当事者を不快にさせ、悲しませ、あるいは差別を再生産するといったことが少なくない。
(例えば、「ネイティブ・アメリカン」といった呼称など)

つまり、絶対に許されない行為として撲滅すべきことと、(全ての笑いがそうであるように)傷つく人もいるからなるべく止した方が良いこと、そしてその中間の事柄があるとするなら、今回の浜ちゃんは後者寄りにあるんじゃないか。注意するなら、差別だと決めつけるのではなく、ただ配慮を促せば良いだけじゃないのか。

声高に「無知だ」、「差別主義者だ」といって非難したり、政治的正しさだけを押し付けようとする人は、そうした行為によって傷つけられる当事者もいるということに配慮するべきだと思う。
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2017-12-29

親方国籍問題

「相撲はとれるのに親方になれないことに、何か理屈はあるんだろうか」という友人のツイートに端を発したやり取り。








色々問題を複雑にしてるのは、親方が単なるコーチ・監督業ではなく、相撲協会の経営陣的な地位であり、同時に株主的な立場にもあるってことだろう。
他の日本○○協会と名の付くようなスポーツ団体、たいがい理事の国籍を日本人に限定してるようだし、株主の国籍制限してる業種が多いのもしかり。

アマチュアでは「日本相撲連盟」に対する「国際相撲連盟」があるように、「日本相撲協会」に対する「国際相撲協会」というのが出来れば当然、日本国籍でない親方も誕生するだろうけど、とまれ公益法人格を取ったとはいえ民間団体の内規に対し、国籍差別だとか人種差別だとか分母を大きくして批判をぶつけるのもどうかと思う。
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2016-09-19

言の葉

妙に疲れが溜まっているときはつまらないことが気になったりして、例えばその一つに言葉の使い方がある。
だから何だということだし、ただの愚痴や屁理屈のようでもあるけど、気になるのは自分だけなのか、書いた人は気にならなかったのか、気になりだすと気になって仕方ない。なので忘れるために書く。

親不知

ゲームやスマホを止めましょうという意味の「ノーメディアデー」という新語。

ファッション業界での「オケージョン」という言葉の乱用。

NHKだけで用いられる「関西言葉」という表現。

豊洲市場報道での、「雨水(うすい)」 「盛り土(もりど)」 という読み方。

スターウォーズ新作の広告の「ダースベーダー出演」という表現。ダースベータ―が誰か他の役を演じるのか。「登場」では駄目なのか。

「同性愛に寛容な社会」という表現。反対の立場だったキリスト教会などと異なり、「許して受け入れる」といった意味合いのある「寛容」という言葉を一般社会に当てはめるのは前提となる視点が限定されすぎないか。

画像は親不知。意味はない。
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2016-08-28

雑記

職場やSNSでも話題になっていた高畑淳子の会見。僕も会見前にこんなツイートをしていた。

高畑淳子自身のスポンサーにも迷惑をかけたろうし、あれだけセットでTVに出まくっていた親子なのだから、事務所は違えど同僚として、相方として謝罪をしないという選択肢はなかったのだと思う。だが、実際の会見の内容とその後の報道を観ていて違和感ばかりが残った。あまりネガティブなことは書きたくないのだけど、ここ最近のメンタルの不調のせいか、犯罪被害者として共感してしまうのか、どうにももやもやした気分が続いてしまう。なので書く。


まず、報道で事件のあったホテルの外観や被害者の特徴を公開されたことや、ホテル側の責任云々が取りざたされることに違和感がある。一般論として防犯対策を語れたとして、入り口で腕を掴まれて引きずり込まれたという今回の犯罪とどう関係するのか?いじめや痴漢事件でよくある「被害者にも落ち度があった」と貶められる二次被害と同じじゃないのか。

そしてなにより疑問なのは、被害者やその家族の人生を破壊する強姦致傷という犯罪とドラマや映画が撮り直しになったという「迷惑」を横並びに扱うことだ。「これだけの人に迷惑をかける」などと、加害者が殺人を犯したとしても同じように呑気なことが言えるのか。そもそも、誰のための会見だったのか。

会見での記者の「下衆な質問」を低俗だと非難しているニュースサイトが、別なページでは容疑者を発達障害やアスペルガー症候群だと決めつけた記事を書いているのも「低俗」だと思った。ニュース的な注目度の高い特異な犯罪の要因として挙げられやすいために印象が強かったりもするけれど、統計的には「健常者」の方が犯罪率が高いというのが客観的な事実。今回のケースは容疑者が有名人であること以外は特異な事件ではなく、不当なラベリングという他ない。

他にも言葉にならないもやもやは色々あるけれど、Tumblrにポストされていた漫画家・ノンフィクションライター、田房永子氏のブログが代弁してくれていたので以下にシェアする。
記者たちの無粋で無意味で不気味な質問の数々によって、高畑淳子の「被害性」が強調されまくる。まるでマスコミが高畑淳子への同情を作り出して守っているかのように見えるほどだった。

 性犯罪という、個人間の問題、殺人という非日常的な事件よりももっと分かりにくい、日常にまぎれ混んでいる問題で、こういう会見がテレビで仰々しく流れてしまうこと自体が、被害者側への大きな攻撃だと思う。
 被害者は弁護士から「相手はちゃんと働いてる人なんだ」「酔っていただけなんだ」「このことが公になったら、加害者の人生は終わってしまう」とか言われる。
 まるで自分が被害を訴えることで今度は自分が加害者かのようなことにすり替えられてしまう。
 それで訴えを取り消したりすることが、世の中にはたくさんある。

 via. 高畑淳子の会見: むだにびっくり





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